レイテ ビリヤバ

レイテ
VILLABA
ビリヤバ
 
タクロバン空港
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さすがフィリピンエアー
1時間遅れでタクロバンに到着
2011 12月 21日
午後 6時30分
ホテルに直行
食事を済ませ 
明日の 慰霊の打ち合わせを済ませ
早々に寝る
 
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                       レイテ パーク リゾートホテル
22日 朝7時から食事
ベランダで海を眺めながらの食事は最高である
そよ風が頬をなで なんと心地よい事か
気がつけば 9時半になっていた
 
ここタクロバンからビリヤバまで
2時間~2時間半
朝 タクシーチャーターに時間がかかり
11時出発となる
(タクシー交渉次第)
タクシー代 P3,000+ガソリン P1,500=P4,500
約9,000円
(最初P6,000と言った・マニラより高い)
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田舎道・リモン峠のカーブをいくつも通り過ぎる
途中 パンを買い 昼食とする
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途中休憩も入れ 3時 最初の平和の塔に着いた
道路沿いにあるので 比較的に解りやすい
 
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1977年7月
建立者 京都比島桃陵遺族会 垣兵団生存者
 
個人的に建てたものか小さい碑がいくつもある
 
早速 線香を手向け お経を唱えた
 
合掌!
 
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山下大将は 当初からレイテ決戦には反対だった
アメリカ軍がレイテ上陸を聞いた山下大将は 
見込みのないレイテ作戦を中止してしまった
 
レイテの8万人は見捨てられた

 レイテ島に残された部隊は、セブ島への脱出をも考えた
 
 
島に残れば死ぬことは 誰にでもわかる
 
セブ島から発動艇4隻がアメリカの攻撃を逃れながら
レイテ乗船地の アビハオに着いた
 
動けない者は見捨てられ
健康な者から乗船した
 
アビハオから発動艇70人乗り 4隻が 一週間をかけ
 合計4回で740名がセブ島に移った
その距離は僅か50キロほどである。
 
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残された兵士たちは 無意味に突撃を繰り返し
全滅し
碑となった
 
櫻井保良 鎮魂碑・陸軍 軍曹 辻山菖三之
阿金藤三郎・京十六師九連少尉
と 読み取れる