玉砕
静岡県慰霊碑
ブラウエンからダガミに行く幹道の西側
泉師団(第26師団)傘下の大隊は19・11・10(第4次多号作戦)
オルモックに上陸後
即 乾坤一擲(けんこんいってき)
即 乾坤一擲(けんこんいってき)
(運命をかけて大勝負をすること)
のブラウエン飛行場群奪還作戦の
先遣隊としての使命を帯び参戦進撃(和号作戦)
ブラウエン飛行場までは直線距離で20数キロ程度であるが
その間にはレイテ島を南北に縦断する脊梁山脈があり
その間にはレイテ島を南北に縦断する脊梁山脈があり
筆舌に尽くし難い峻嶮な(しゅんけん: 山などの高く険しいこと)
崖 岩登り 谷下りを
強いられながらも作戦遂行のため
後続の泉師団主力は西海岸ダムランの戦闘で
戦力を消耗しながらも本作戦の為に
戦線を離脱し転戦を果たしたのであるが
戦線を離脱し転戦を果たしたのであるが
脊梁山脈の山越えに日時を要し結局
本作戦の斬り込み実施日の12月7日には到着できず
本作戦の斬り込み実施日の12月7日には到着できず
突入には参戦できなかった。
やむを得ず第3大隊は単独で部隊から選抜した
斬り込み隊4人~5人単位100組を
連日派遣、初期の目的である飛行場の
連日派遣、初期の目的である飛行場の
一角を占拠の大殊勲を打ち立てた。
しかし この激戦で多くの将兵は
この地南ブラウエン飛行場(現地名バユグ)で戦死
855名玉砕した。
855名玉砕した。